紅い狐の心のこもらない話

いつものこと、よくあること、日常のこと、そんなことを思うままに書いていきたいと思います。

今日の出来事(巻き舌)

お題「今日の出来事」

皆の者。

しばらくだったな。

縁結びの神、闇の眷属、暁煌と夕闇の精霊、影衣の吸血鬼、紅い狐の余は帰ってきた。

 

 

昨年は波乱に満ちた年となったわけで、全く更新が出来なかったわけだが、長い人生こんなこともあるだろう。死なないだけまだまだ大丈夫というわけだ。

今年からは自分の人生に、自分にとってのつまらん汚点を作らぬように、今まで以上にやっていくつもりだが、その為にも今抱えている課題を全てクリアにしよう。

 

 

さて、前置きも長々と述べていると今日が削がれる。

お題スロットで復帰の記事を認めるとしよう。

 

今日の出来事、というよりかは土曜日からぶっ続けで起きているので日付的な意味ではない「今日の出来事」になる。

なに?日付が変わったらそれ以前は昨日だと?

 

 

 

     馬   鹿   者  !

 

 

 

寝るまでが今日だと日本のラップユニットが言っているから余が起きている限りは天地がひっくり返っても今日なのだ!

 

というわけで出来事をつらつら書いてやる。

 

・夜の街で起きた三角関係(ポロリあり)

土曜日の晩、六本木に繰り出した余が見たものは、若い男と呼ぶには少々幼い、小僧と言った方がしっくり来る、生意気が服を着て歩いているようなのが二人、同じ女を巡って取っ組み合いの口論を繰り広げていた。

白い服の小僧曰く

「どうして俺の女に手を出すんだ!親友だと思ってたのにふざけるな!」

黒い服の小僧、答えて曰く

「だってしょうがないじゃん、お前と付き合ってるわけじゃないんだし俺だって好きなんだから!」

と周りの迷惑を顧みることもなく、あちこちの置物もなぎ倒しながら取っ組み合っていた風景を目撃していたのだ。

 

余は思うに、共通の女を好くのは誰に遠慮するものでもないのだが、それを理由に互いに傷付け合う事があっては、男の名折れ、女もそのような乱暴や狼藉を働く男の傍に在ってはおちおち眠ってもいられないことだろう。

いっそ両者共倒れにでもなれと思いもしたが、それでは三者共に心に傷を負うだけで何の得もドラマもない。

故に余は考えた。共通の女を巡ってのバトルにおける本来のあり方というのは、男らしくカラッとしていて、どちらがより女の心を射止められるかに主眼を置くべきではなかろうか。

お互いが長い時間を掛けて切磋琢磨しながら、最後に女が共にすべきと思った男のところにいけばいいのだ。

従ってそれが出来ないうちは、年齢の上で成人していたとしてもまだまだ未熟であり、好きだの愛してるだのと口にする資格はないのだ。

取っ組み合いをやっていた小僧どもには、そういう理屈を理解してもらいたいと思うし、何より六本木という土地柄、深夜は割と無法地帯で警察もてんやわんやだから、出動しているところにタイミングよく、というか目の前で投げ飛ばしたりすればお縄に付くのは当然なわけで、そうした事を考えてやってもらいたい。

 

そう思いながら争いの行く末を見ていたら、案の定警笛の音が鳴り響き、警察官の口からホイッスルがポロリと落ちたのであった。

警官「そこの二人!離れなさい!」ピピピピピピ!

駆け足で警察がやってくる!小僧二人ピンチ!

 

 

と、思っていたら道路を挟んだ反対側のところでの出来事で、警察が追っていた人物は路地の中に逃げ込んでしまったのであった。

 

 

自分の事じゃないにしても、穏やかにやってもらいたいものだ、全く。

安全の心得

こんにちは。

いよいよ寒くなってきて手袋と暖かい缶コーヒーの手放せなくなった余である。

布団の中でシコシコとこの記事を書きながら、紅い狐こと余がお送りする今日のお話は「交通安全の心得」みたいなものである(・`ω・)

余は東京でタクシー乗務員を営んでいるわけだが、そこで見せる客の顔というものは、一際生々しく、いやらしく、また卑怯千万である。

一概に接客と言っても取引先との営業や不動産や物品の販売、飲食業、サービス業などあるが、いずれも客層も異なればそこで見せる顔や性格の特徴も様々である。

実際に経験した事例を紹介すると、行き先を聞いても「真っ直ぐ」としか言わない人は多いのだが、そういう場合は「まっすぐ進んでどちらまでですか?」と最終目的地を訪ねることにしている。

だがしかし、タチの悪いことにその質問すら無視されることもよくある。

そうなったらどうするのか、間違ってもばか正直にまっすぐ進んではならない。絶対に行き先を聞き出すまで発進してはならない。

だがだがしかししかし、更にタチの悪いことに行き先を聞き出そうとする行為に対して「あんだよ~おめえしつけえなぁ!さっさと行けよ!」と高圧的に指図をして来る者も、深夜の客には頻繁に現れる。

そうした相手に対しては「お客様、コレが商談だという認識はございますか?(^^)」と訪ねると、大体の人は「ハッ」としてきちんと行き先を言ってくれるようになる。

そりゃそうだろう。タクシー業界においては乗務員と乗客による「商談」というのは対等の関係である。

※やかましい酔っ払いはボコボコにぶっとばsゲッホゲッホ・・・間違っても肉体言語の使用は厳禁であるぞよ

 

乗客の立場で言わせてもらえば、いい加減な指示を出せば、いい加減なルートで走られ、どれだけ遠回りされてもメーター通りの料金請求をされる。

同様に乗務員の立場でトラブルを避ける対策を述べるならば、きっちり行き先を聞いて、希望の道順も聞いて、到着予定時間も伝えて「安全」に送っていくのみである(・`ω・)

 

さて本題

「安全」とここで書いたが、これには

  1. 物理的な安全
  2. 法的な安全
  3. 心理的な安全
  4. 状況的な安全
  5. 身体的な安全

という意味が存在するので、それぞれに説明しよう。

まず「物理的な安全」というのは簡単に言えば、他の車両や歩行者、建築物や標識などの物体との衝突が発生しない状態のことである。車の運転をしない人のために説明すると、自動車というのは通常、アクセル操作だけでは容易に減速しないものであるため、そのままでは信号待ちや不測の事態による衝突リスクを極減することは出来ない。それ故、ブレーキを踏んで減速操作を行う必要がある。

 

次に「法的な安全」とは何か?自動車を運転するには当然のことながら、免許証が必要になる。運転免許はただ「車を転がしても良いよ(^q^)」と言う安直なものではなく、安全な運行をするために必要な知識と技術を備えていることが最低条件である。

ここがちとややこしい。なぜなら、法律には走行の速度や周囲の安全確認だけでなく、全体的な道路状況の判断も含まれているため、覚えることが非常に多い。自動車の運転が苦手と言う人のほとんどは、おそらくここで躓いてるんじゃなかろうかと余は推測しておるわけだが、まず車に限らず、あらゆる交通手段の基本を押さえておく事を念頭に置いてもらいたい。

その基本とは「走る・曲がる・止まる」の三つ。

この三つにカテゴリーを絞れば、ほとんどの運転に関する事は覚えられるはずではないだろうか?

  • 走る:言わずもがな交通手段の存在意義とは、早く安全に目的地へ到着する事である。
  • 曲がる:道は真っ直ぐとは限らないし、手放しで真っ直ぐ走れる車はまず存在しない。
  • 止まる:一番大事。止まれない車はただの凶器であり、存在してはならない。

 

さてお次、「心理的な安全」について。

当然の事ながら気分が落ち着かないときの運転は確認が疎かになったり、速度が速くなり過ぎたりするなど危険である。無の境地とまで言わないが平静を保つ事は大切である。心の平静を保つために必要と思うことをいくつか列挙する。

  • 余計な事を考えない。目的地まで淡々と走る。急いだところで到着がほんの数分早くなるだけだが、死ぬリスクはなんぼでも大きく膨らむぞ。
  • 車間は詰めない。前が詰まっているからと言って自分が詰めても前の車がスピードアップすると言うことはあり得ない。
  • 他人の言動にいちいち反応しない。煽ったり進路妨害する事など以ての外である。
  • 食事やトイレやタバコなどは余裕を持ってする。
  • 地理に精通しておく。ルートの構築やリカバリーのために非常に重要な要素である。殊、東京のような複雑な地理構造をしている都市では知らぬが仏という言葉は絶対に通用しない。
  • 運転する人は遊ばない。人の命を預かると言う自覚を持ちましょう。

こんなところだろうか。

これから年末年始の帰省ラッシュUターンラッシュがあるだろうから、車を運転する人は次の言葉を頭の片隅においておくことを進める。

 

「真の意味での「急ぐ」とは、あらゆるアクシデントの発生を加味した上で、それらの問題に直面しても、限りなく小さい誤差で目標に設定した時間に、出来る限り少ない労力で目的地へ到着することである。」

 

これからの時期、高速道路上で渋滞に嵌ることなんか誰でも分かり切ってる事だろうから、思い切って渋滞発生予想の三日前くらいから出ちゃってもいいんじゃないか?と言いたいくらいだ。企業の皆さん、そこらへん頑張ってねー。(←すげえ無責任)

 

はい次「状況的な安全」

これは簡単だよね?ぶつけなければいい。

でもこれがなぜか皆出来ない。それはなぜかと言うと通勤ラッシュの電車の中よろしく、前後左右にぎゅうぎゅうに詰めまくりーの、間を縫ったりーの、あちこちふらふら走ったりーの、車線を跨いだまま走ったりーの、暗くなっても電気点けねーののオンパレードだからである。(てめーら本当にいい加減にしろww)

狭い、見えない、聞こえないはママのお腹の中を出たら卒業してほしいwww

あ、あともう1つ。フロアマットは純正が一番。と言っておく。

 

最後「身体的な安全」

健康は大事。五感がフルに使えない人はそうでない人より事故に遭うリスクが高くなります。特に目と頭と首は大事です。この三つに異常を来たしてる人は早々にお医者さんに見てもらって治しましょう。セブンセンシズの覚醒とか絶対無いから安心して病院行ってこい。

 

以上の五つが「安全」の五要素であると余は考えるわけだが、この五つのどれかが欠如すると、その度合いによってヒヤリハットで済むか、或いは重大死亡事故が起きるかである。くれぐれも気を付けよう。

 

酒を飲みたかったら、目的地に到着してからにしよう。余の場合は会社に帰庫して終業作業が完了してからである。(それでも明けの日に飲むなんて滅多にしないけどね笑)

トラ・トラ・トラ

おはよう諸君。

毎度おなじみ、余である(・`ω・)

12月に入り、今年もいよいよ僅かとなってきたわけだが、諸君らに一つ聞いてみたいことがある。

 

 

今日は何の日?

そう聞かれて即答できるのはどの位いるだろうかな?

 

 

 

そう

 

 

 

75年前の今日

 

 

 

我ら日本人の先祖は

 

 

 

世界で最も強大な国々を相手に戦争を始めた日

 

 

 

大東亜戦争・対米英開戦≫の日である。

 

 

 

http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400296_00000

【臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。

大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。

帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。

今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

我が軍は今朝未明から香港の攻撃を開始しました。
大本営陸軍部、きょう午前11時40分発表。
我が軍は本8日未明、戦闘状態に入るや、期を失せず香港の攻撃を開始せり。

我が軍はマレー半島上陸作戦を敢行しました。
大本営陸海軍部、12月8日午前11時50分発表。

我が軍は陸海緊密なる協同の下に、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。

大本営海軍部発表。

一、帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し、決死的空襲を敢行せり。

二、帝国海軍は本8日未明、上海においてイギリス砲艦ペトレルを撃沈せり。アメリカ砲艦ウェークは、同時刻我に降伏せり。

三、帝国海軍は本8日未明、シンガポールを爆撃。大なる戦果を収めたり。

四、帝国海軍は本8日早朝、ダバオ、ウェーキ、グアムの敵軍事施設を爆撃せり。

この日、畏くも天皇陛下には、陸海軍大臣を宮中に召させられ、優渥なる勅語を賜う。

皇軍恐懼してこれを拝し、士気いや高く上がる。一億毅然立って、戦いを決するの時は来た。

大東亜新秩序建設への雄大なる総進軍だ。

この戦いにつき、12月14日午後4時半、情報局は次のように発表した。

本時の対米英戦は、支那事変をも含め、大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず。】

 

 

 

 

大東亜戦争とは、二十世紀前半当時、大日本帝國の他、シャム王国(タイ)を除き、残らず欧米列強の支配下にあったアジアに於いて、ただ一国、大日本帝國のみが欧米列強の白人至上主義に基づく「人種差別及び植民地支配体制の打破」のために敢然と立ち向かうことを決意した戦いであり、本土炎上、帝國陸海軍玉砕、原爆投下による無差別虐殺などを初めとした多大なる犠牲の元、ついに植民地支配体制を終結し、有色人種の平和と独立の楔を打ち込んだ、人類解放の大事業という世界システムの変革を遂行し、時代を大きく変えた聖戦である。

 

我々の祖父は、太平洋、ハワイ、満蒙、支那ベトナム、マレー、ビルマシンガポール、フィリピン、パラオインドネシア、インド洋、マダガスカルインパールアリューシャン、沖縄など、それぞれの戦地へと赴き、ある者は死んで英霊となり、ある者は生き延びて日本の地へと帰って復興に力を注ぎ、ある者は戦争犯罪人と一方的に断罪され、ある者は極寒のシベリアに抑留され、ある者は敵国の軍政下に身を置く半生を歩み、ある者は己の所業を詫びて自害し、ある者は燻ぶる闘争心に苛まれ続け、またある者は終戦後長らく潜伏した後、日本へ帰国、自らの祖国の変貌と変質に愕然とした。

大東亜戦争に於ける戦略には、批判的な意見が多数あり、ここでの言及は避けるが、我々の祖父母は、太陽の御旗の元に一丸となってこの大事業をやってのけた事を決して忘れてはならない。


我々の祖父が人類の未来を切り開いた英雄であること、それは我々が英雄の子孫であると意味することでもある。

 

我々の祖母は、家族の帰りを待ちながら、よく家庭を支え、後方から物資を送るなど総力を挙げて兵士の戦いを助けた。

中には男子のいない家庭であるが故に「あそこの家は男を生まない非国民の家庭だ」などと謗られた家もあったことだろう。

しかし、誰しも父母なくばこの世に生を受けること能わず、どうして非国民などと謗ることが出来ようか。生き残った娘さん方がいたお陰がなければ、戦後の復興や成長は無かったであろう。よく堪えてくださったとしか言いようがない。

 

少年少女であった者は、勉学の傍ら勤労奉仕に勤しみ、戦うための弾薬の製造を行って兵士の力となった。これらをはじめ、戦地に赴いた我々の祖父への多くの家族・社会・国家それぞれの助けがあった。

兵士の多くは故郷を遠く離れ、強大な敵と対峙し続ける事を強いられ、満身創痍だったことは言うまでも無い。
そんな中、家族からの手紙は何よりの励みだったことだろう。

当時の大日本帝国には、同格の友邦と呼べる国がなく、国際社会から孤立した国であった。

どれだけ心細かったか。現代の我々では到底推し量ることは出来まい。

 

開戦前の御前会議にて昭和帝がお詠みあそばされた明治帝の御製
「四方の海 みな同胞と思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ」

未だ人類の平等は達成されず、この不幸がいつ終わりを告げるか見通しの立たない世界である。
先帝陛下や今上陛下の心の苦しみは如何ばかりであろうか。

 

我々とその子孫は、新たに人類を閉塞せしめる偏見や妄言の数々を打ち破り、本来の意味で共に手を携え、支え合う社会を実現することが、今を生きる我々に課せられるべき、先達に対する責務であろう。

その為に必要不可欠であり、また日本人から失われようとしているものがあります。

 

日本が日本足らしめる要素は以下の三つ。

第一に皇室。

今上陛下の男系子孫は、東宮、秋篠宮家と合わせても僅か三名。男子の更なる誕生が望まれるところであり、存命の男子皇族への厳重な警備が行われなければならないところである。

また、即位なされたとて男系譜の増加がないままでは、存続の問題に苛まれ続けることだろう。

 

第二に神社。

昨今、間違った参拝の方法を伝授する餓鬼・畜生や御神木を枯らし、あまつさえ材木として売り捌く不届き者が蔓延るだけでなく、氏子の働きも弱く、最早単なる寄合所帯の様相を呈するとの話も伝え聞く。

我が国の宗教は、自然信仰を基本とする神道であり、天地万物の事柄を鋭く見極めて、適切な営みを行うことに、そもそもの解が存在する事を念頭に置きたいところではないだろうか。

 

第三は国語の復興。

余は「昔は良かった」ということは極力言いたくないのであるが、こればかりは如何ともし難いほどの劣化を示している。

タクシードライバーという職業柄、老若男女に留まらず、様々な職業・階層・カルチャーの人間を客として接する特性上、日本語だけでも様々な言葉を耳にする。

その惨状たるや、若者の崩れた言葉や一時の流行り言葉ならいざ知らず、いい大人が恥ずかしげもなく間違った語句を使用して、無用な諍いの火種を起こしたりすることもしばしば。

適切な言葉を駆使できない者は、意志疎通に支障を来すだけでなく、それによって他者との関わりを避けるようになるため、より一層諍いの火は燻り続けることだろう。

これを避けるためには、質の良い名文や言葉に頻繁に触れていく事が必要不可欠である。

豊富な語彙を養うために、文献や小説を読むことも大事だが、余としては、日本人なら短歌や俳句、川柳、都々逸といった五七調の文学の創作に励むことが、一番の特効薬であると感じている。

何故国語を復興させねばならぬか。

改めて述べるが、意思決定に於ける素地の強化である。

先ほど「適切な言葉を駆使できない者は他者との関わりを避けるようになる」と申したが、これによってもたらされる弊害がもう一つある。

端的に言えば「勝って兜の緒を締めよ」であるが、日本人の悪い癖としてあるのが、目先の勝ち負けに囚われ過ぎるところではないだろうか?

我ら日本人がすべき事は何だろうか。

あれこれ活動をすることで得られる安心感だろうか。

仕事や労働を通じて得られる充実感だろうか。

否、求められることは日本と日本人の繁栄という「結果」を作り出すことである。

 

我々、特に有権者に見られがちだが、保守派は安倍政権で安心しきってはいないだろうか。後継の人材も未だ育っていない状況下で安心できるほど、日本は余裕があるだろうか。左翼は未だ政党や活動団体に於いて、まともに論戦や政策提言の出来る人材も育っていない始末である。工作員のウジ虫どもは残らず滅ぼすとしても、様々な視野を持った人材は不可欠であろう。

そうした課題を解決するためにも、言語を磨くことは重要である。

 

かつて安倍総理は、選挙のキャッチフレーズに「日本を取り戻す!」という言葉を採用したが、単に国力や国際社会に於ける存在感、競争力に対してその言葉を使ったのではないと余は思う。

日本を、日本足らしめるものあってこそ、日本なのだということを忘れることなく、我が国、栄えある日本の真の復活を遂げるべく、これからの時代を共に生きたいものである(・`ω・)=3フンス

人の話を聞かない人は、唯一無二の人間になるのが生きる道

ごきげんよう、今日のお題は

「人の話を聞かない人は、唯一無二の人間になるのが生きる道」である。


何を隠そう余は、幼い頃からとにかく人の話を聞かない人間だったわけで、ちょっとでも気に入らないことがあれば、自我が芽生えてなかった赤ん坊の頃でも、後ろにひっくり返ってはギャーギャー泣きわめいて駄々をこねていた。


想像してみてほしい。

おむつを穿いてる子が顔を赤くして泣きわめいて駄々をこねている姿を。

 

ンフwwwかわいいwww

そういうの想像するだけでも子供がいる人が羨ましいなと思うわwww

 

オホンオホン・・・(咳払い)
じゃなくて、いろんな意味でその子の将来が心配になること必至である。


その結果が余である。

そう、とにかく余は人の話を聞かない。

社会人になりたての頃は、上司や同僚の言ってることの意味が納得も理解できなくて、物凄い苦労したものである。

まして家族の言ってることなどもっと理解できなかった。


ところがどっこい、自分の興味を持ったものが絡んだ途端に、寝食を忘れて調べたり色々やったりした結果、普通は誰もやらないことを平気でやった事も時としてある。


そうすると大なり小なり、結果を残せるようになるので、知りたいことがあったらとにかく自分の力で確かなものを掴むことに励めみたいものである。


もちろん、余のような未熟・若輩の者にとっては、上には上がいるのでそのような人に対してのリスペクトは、大いに持ちたい。

伝統的なものと現代的なものの共通点

神社とファーストフード店って何となく似ているような気がするので、共通点を挙げてみた。

  • 鳥居がある。⇔自動ドアがある。
  • お社がある。⇔お店がある。
  • 賽銭箱がある。⇔レジがある。
  • 神職や巫女がいる。⇔店員がいる。
  • 宮司がいる。⇔店長がいる。
  • 御手洗がある。⇔トイレがある。
  • 神事に当たっては精進潔斎。⇔業務に当たっては衛生管理。
  • 参拝者が列を為す。⇔客が列を為す。
  • 願い事をきちんと言わないとご利益を受けられない。⇔注文を正確に伝えないとサービスが提供されない。
  • 祝詞を唱える人がいる。⇔オーダーコールをする人がいる。
  • 願い事が叶うタイミングはその時々でばらつきがある。⇔注文の兼ね合いで提供される順番が前後する。
  • 願いが叶わないこともある。⇔注文を忘れられてることもある。
  • 朱印帳がある。⇔スタンプラリーがある。
  • お守りが買える。⇔おまけの玩具が付いてくる。
  • 広く信仰されている。⇔広く利用されている。
  • 様々な宗派が存在する。⇔様々なブランドが存在する。

 

どうだろう?ざっと思い付くものでこれだけある。

ここまで来ると最早ファーストフード店というのは、神社に近い存在と言えるのではないだろうか?(笑)

伝説の教師という存在

えーと、昔日本テレビで放映されていたテレビドラマとは何の関係もないことをツラツラ書いてくつもりですので、そのつもりで読みに来た人は回れ右しましょう(^ω^)

「教師と自分」というテーマに興味がある人はそのまま読んでも良いかもしれません。誰しも忘れ難い人はいるものです。今回はそういうお話。

 

さて、先日友人数名に会うために名古屋へ行った折り、酒を飲んで夜からカラオケパーティーをしたわけだが、その時に三波春夫の「元禄名槍譜ー俵星玄蕃ー」を披露したら、友人から「生涯忘れられないほどの衝撃を受けた」という、これ以上ない称賛を頂いた。

考えてもみてほしい。こんな姿のヤツが忠臣蔵の歌曲をやるというだけでなく、マイクなしで全世界に公開でライブ配信をしてたんだからな。
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ー後ろの木は「日向楠」と勝手に呼ばれてる楠である。ー

 

元禄名槍譜ー俵星玄蕃

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1074669275964278&id=100002636471284

思い返してみると、そうやって見かけにしろ歌にしろ、人をあっと言わせることは昔から好きだったわけだが、そういうことを好むようになったきっかけというのもあって然るべき。という結論に至ったわけで、余の人生に大きな影響を与えた教師というのを古くなった記憶を辿ると、ある一人の校長先生に行き着くことになる。名前は伏せさせていただくが、小学校卒業時のY校長である。

この方は非常に奇特な人物で、芸達者であり、毎週だか毎月あった全校集会の時に必ず「校長のお話」というのがあった。恐らく日本で教育を受けた人なら未経験という人はまず存在しないはずである。

大抵の場合、定年も近くなったおじさんの話というのは、子供にとっては非常につまらないし、話も長いから退屈でしょうがない。というのがほとんどの意見だろう。そうしたイメージを完璧に崩したのが、Y校長だった。

Y校長の凄いところをいくつか挙げると手品を披露したり、6つ同時に皿回しをしたり、日舞をしたりと様々な芸事を極めてるだけでなく、いつも気さくでニコニコとしていたので、余だけでなく当時の児童からの人気は非常に高かったと思う。

極めつけは卒業式後の謝恩会で南京玉簾を披露したことだ。

先に南京玉簾の事を説明しておくと「南京」と名称がついているが富山県の発祥の大道芸であるとの事。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E7%8E%89%E3%81%99%E3%81%A0%E3%82%8C

で、当のY校長はちゃーんと衣装を拵えて披露してくれた。

釣竿東京タワー後光しだれ柳などの技が存在するが、何とも手慣れたもので、いずれも完璧だったと記憶している。

如何に教職者が数多くあれど、ここまで芸を極めた人物も稀有であろう。

どれだけの人が覚えているか分からないが、まさしく「伝説の教師」と呼ばれるに相応しい人物であったと余は確信する。

また現代では廃れつつある南京玉簾であるが、当時の父兄も父兄で、そうした古式ゆかしい文化に触れてきたからか、ほとんどソラで歌えた。現代の一般家庭で、そうした大衆文化に通じて、己の血肉としている親が果たしてどのくらい居るだろうか。 

 

そなたらの中にも、自身のその後の人生に大きな影響を与え、どうにも忘れられない伝説を残した教師がきっといる事だろう。

一昨日の仕事はどうだったかと言うと・・・。

ごぎげんよう。

紅い狐、日向真人である。

 

一昨日は前日の晩から碌に睡眠が取れなかったせいで、夕方に幻覚を視るほどの激しい睡魔に襲われたので、已む無く休息を取った訳であったが、仮眠から覚めて以降はほぼ切れ目なく食事を取る暇どころか、ジュース一本買いに行く暇もないほど多くの乗客がいた。

仕事を終了させて終業点呼の後に、私服に着替えて会社を出発した頃には、体力の消耗と空腹でフラフラになってしまい、チャーシューメンを一心不乱に食して復活した訳なのだが、たべログに載ってるラーメン屋とは言え、そこまでするほどの味と言うわけではないのであって、やはり空腹は最高の調味料であると実感する。況や冷たい風の吹く寒い朝に於いてをや。

寒い日のラーメンというのは実に旨い、根強く屋台が残るのも分からないでもない。今度おでんとか食べに行きたいから誰か余の供をせい(笑)

 

さて、タクシー業界的にはようやくハロウィンの喧騒が終わり、十一月は概ねまったりした日常的な乗務が戻ってくるわけだが、稼ぎが落ちるのかと言われると、決してそうではない。むしろ人間が二本の足で歩き続け、食べ物から血肉を作る生き物である以上は、決して交通の仕事がなくなると言う事はないだろう。

或いはこれからの季節、ますます気温が低くなり、朝夕の通勤が辛いものになってくると、一層需要が高まってくるというもので、そういう意味では九月、十月よりも期待できる要素があるわけでもある。

そして二ヵ月後には忘年会シーズンが開幕して、そのままクリスマス、コミケや各種業界の年越しイベントに雪崩れ込み、新しい年を迎える。

余としては今年もクリスマスはしっかり働いていく予定であるし、大晦日も働く予定にしている。

何故かと言えば新年の折には、元旦は休み、二日に皇居へ赴いた後は、友人たちとの新年会を行い、三日はそのときの流れに任せるという形にしてる。

このために余の年末年始のスケジュールというのは大体決まっているのだ。これはお盆も同様で、終戦の日前後は用事も然る事ながらその翌日が余の誕生日であるため、お祝いの言葉への返事にひたすら追われることになるし、何より盆が明けてないので仕事も暇でしょうがない。

 

さて、今日は一応出勤の希望は出しているが、どうなることだろう。

 

p.s.

昨日飲みに出かけた帰り、余の私服を見て大笑いした者がいるが、余の服装はハロウィンと関係なく、大体いつもああなので笑われる筋合いはない(・`ω・)

 

最後にテキストだけでは味気ないのでYouTubeの動画でも貼り付けておくことにしよう。

この曲は燃えるから好き。


Two Steps From Hell - To Glory