紅い狐の心のこもらない話

いつものこと、よくあること、日常のこと、そんなことを思うままに書いていきたいと思います。

伝説の教師という存在

えーと、昔日本テレビで放映されていたテレビドラマとは何の関係もないことをツラツラ書いてくつもりですので、そのつもりで読みに来た人は回れ右しましょう(^ω^)

「教師と自分」というテーマに興味がある人はそのまま読んでも良いかもしれません。誰しも忘れ難い人はいるものです。今回はそういうお話。

 

さて、先日友人数名に会うために名古屋へ行った折り、酒を飲んで夜からカラオケパーティーをしたわけだが、その時に三波春夫の「元禄名槍譜ー俵星玄蕃ー」を披露したら、友人から「生涯忘れられないほどの衝撃を受けた」という、これ以上ない称賛を頂いた。

考えてもみてほしい。こんな姿のヤツが忠臣蔵の歌曲をやるというだけでなく、マイクなしで全世界に公開でライブ配信をしてたんだからな。
f:id:kotyomitu:20161128194928j:image

ー後ろの木は「日向楠」と勝手に呼ばれてる楠である。ー

 

元禄名槍譜ー俵星玄蕃

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1074669275964278&id=100002636471284

思い返してみると、そうやって見かけにしろ歌にしろ、人をあっと言わせることは昔から好きだったわけだが、そういうことを好むようになったきっかけというのもあって然るべき。という結論に至ったわけで、余の人生に大きな影響を与えた教師というのを古くなった記憶を辿ると、ある一人の校長先生に行き着くことになる。名前は伏せさせていただくが、小学校卒業時のY校長である。

この方は非常に奇特な人物で、芸達者であり、毎週だか毎月あった全校集会の時に必ず「校長のお話」というのがあった。恐らく日本で教育を受けた人なら未経験という人はまず存在しないはずである。

大抵の場合、定年も近くなったおじさんの話というのは、子供にとっては非常につまらないし、話も長いから退屈でしょうがない。というのがほとんどの意見だろう。そうしたイメージを完璧に崩したのが、Y校長だった。

Y校長の凄いところをいくつか挙げると手品を披露したり、6つ同時に皿回しをしたり、日舞をしたりと様々な芸事を極めてるだけでなく、いつも気さくでニコニコとしていたので、余だけでなく当時の児童からの人気は非常に高かったと思う。

極めつけは卒業式後の謝恩会で南京玉簾を披露したことだ。

先に南京玉簾の事を説明しておくと「南京」と名称がついているが富山県の発祥の大道芸であるとの事。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E7%8E%89%E3%81%99%E3%81%A0%E3%82%8C

で、当のY校長はちゃーんと衣装を拵えて披露してくれた。

釣竿東京タワー後光しだれ柳などの技が存在するが、何とも手慣れたもので、いずれも完璧だったと記憶している。

如何に教職者が数多くあれど、ここまで芸を極めた人物も稀有であろう。

どれだけの人が覚えているか分からないが、まさしく「伝説の教師」と呼ばれるに相応しい人物であったと余は確信する。

また現代では廃れつつある南京玉簾であるが、当時の父兄も父兄で、そうした古式ゆかしい文化に触れてきたからか、ほとんどソラで歌えた。現代の一般家庭で、そうした大衆文化に通じて、己の血肉としている親が果たしてどのくらい居るだろうか。 

 

そなたらの中にも、自身のその後の人生に大きな影響を与え、どうにも忘れられない伝説を残した教師がきっといる事だろう。