紅い狐の心のこもらない話

いつものこと、よくあること、日常のこと、そんなことを思うままに書いていきたいと思います。

トラ・トラ・トラ

おはよう諸君。

毎度おなじみ、余である(・`ω・)

12月に入り、今年もいよいよ僅かとなってきたわけだが、諸君らに一つ聞いてみたいことがある。

 

 

今日は何の日?

そう聞かれて即答できるのはどの位いるだろうかな?

 

 

 

そう

 

 

 

75年前の今日

 

 

 

我ら日本人の先祖は

 

 

 

世界で最も強大な国々を相手に戦争を始めた日

 

 

 

大東亜戦争・対米英開戦≫の日である。

 

 

 

http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/sp/movie.cgi?das_id=D0001400296_00000

【臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。

大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。

帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。

今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

我が軍は今朝未明から香港の攻撃を開始しました。
大本営陸軍部、きょう午前11時40分発表。
我が軍は本8日未明、戦闘状態に入るや、期を失せず香港の攻撃を開始せり。

我が軍はマレー半島上陸作戦を敢行しました。
大本営陸海軍部、12月8日午前11時50分発表。

我が軍は陸海緊密なる協同の下に、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。

大本営海軍部発表。

一、帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し、決死的空襲を敢行せり。

二、帝国海軍は本8日未明、上海においてイギリス砲艦ペトレルを撃沈せり。アメリカ砲艦ウェークは、同時刻我に降伏せり。

三、帝国海軍は本8日未明、シンガポールを爆撃。大なる戦果を収めたり。

四、帝国海軍は本8日早朝、ダバオ、ウェーキ、グアムの敵軍事施設を爆撃せり。

この日、畏くも天皇陛下には、陸海軍大臣を宮中に召させられ、優渥なる勅語を賜う。

皇軍恐懼してこれを拝し、士気いや高く上がる。一億毅然立って、戦いを決するの時は来た。

大東亜新秩序建設への雄大なる総進軍だ。

この戦いにつき、12月14日午後4時半、情報局は次のように発表した。

本時の対米英戦は、支那事変をも含め、大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず。】

 

 

 

 

大東亜戦争とは、二十世紀前半当時、大日本帝國の他、シャム王国(タイ)を除き、残らず欧米列強の支配下にあったアジアに於いて、ただ一国、大日本帝國のみが欧米列強の白人至上主義に基づく「人種差別及び植民地支配体制の打破」のために敢然と立ち向かうことを決意した戦いであり、本土炎上、帝國陸海軍玉砕、原爆投下による無差別虐殺などを初めとした多大なる犠牲の元、ついに植民地支配体制を終結し、有色人種の平和と独立の楔を打ち込んだ、人類解放の大事業という世界システムの変革を遂行し、時代を大きく変えた聖戦である。

 

我々の祖父は、太平洋、ハワイ、満蒙、支那ベトナム、マレー、ビルマシンガポール、フィリピン、パラオインドネシア、インド洋、マダガスカルインパールアリューシャン、沖縄など、それぞれの戦地へと赴き、ある者は死んで英霊となり、ある者は生き延びて日本の地へと帰って復興に力を注ぎ、ある者は戦争犯罪人と一方的に断罪され、ある者は極寒のシベリアに抑留され、ある者は敵国の軍政下に身を置く半生を歩み、ある者は己の所業を詫びて自害し、ある者は燻ぶる闘争心に苛まれ続け、またある者は終戦後長らく潜伏した後、日本へ帰国、自らの祖国の変貌と変質に愕然とした。

大東亜戦争に於ける戦略には、批判的な意見が多数あり、ここでの言及は避けるが、我々の祖父母は、太陽の御旗の元に一丸となってこの大事業をやってのけた事を決して忘れてはならない。


我々の祖父が人類の未来を切り開いた英雄であること、それは我々が英雄の子孫であると意味することでもある。

 

我々の祖母は、家族の帰りを待ちながら、よく家庭を支え、後方から物資を送るなど総力を挙げて兵士の戦いを助けた。

中には男子のいない家庭であるが故に「あそこの家は男を生まない非国民の家庭だ」などと謗られた家もあったことだろう。

しかし、誰しも父母なくばこの世に生を受けること能わず、どうして非国民などと謗ることが出来ようか。生き残った娘さん方がいたお陰がなければ、戦後の復興や成長は無かったであろう。よく堪えてくださったとしか言いようがない。

 

少年少女であった者は、勉学の傍ら勤労奉仕に勤しみ、戦うための弾薬の製造を行って兵士の力となった。これらをはじめ、戦地に赴いた我々の祖父への多くの家族・社会・国家それぞれの助けがあった。

兵士の多くは故郷を遠く離れ、強大な敵と対峙し続ける事を強いられ、満身創痍だったことは言うまでも無い。
そんな中、家族からの手紙は何よりの励みだったことだろう。

当時の大日本帝国には、同格の友邦と呼べる国がなく、国際社会から孤立した国であった。

どれだけ心細かったか。現代の我々では到底推し量ることは出来まい。

 

開戦前の御前会議にて昭和帝がお詠みあそばされた明治帝の御製
「四方の海 みな同胞と思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ」

未だ人類の平等は達成されず、この不幸がいつ終わりを告げるか見通しの立たない世界である。
先帝陛下や今上陛下の心の苦しみは如何ばかりであろうか。

 

我々とその子孫は、新たに人類を閉塞せしめる偏見や妄言の数々を打ち破り、本来の意味で共に手を携え、支え合う社会を実現することが、今を生きる我々に課せられるべき、先達に対する責務であろう。

その為に必要不可欠であり、また日本人から失われようとしているものがあります。

 

日本が日本足らしめる要素は以下の三つ。

第一に皇室。

今上陛下の男系子孫は、東宮、秋篠宮家と合わせても僅か三名。男子の更なる誕生が望まれるところであり、存命の男子皇族への厳重な警備が行われなければならないところである。

また、即位なされたとて男系譜の増加がないままでは、存続の問題に苛まれ続けることだろう。

 

第二に神社。

昨今、間違った参拝の方法を伝授する餓鬼・畜生や御神木を枯らし、あまつさえ材木として売り捌く不届き者が蔓延るだけでなく、氏子の働きも弱く、最早単なる寄合所帯の様相を呈するとの話も伝え聞く。

我が国の宗教は、自然信仰を基本とする神道であり、天地万物の事柄を鋭く見極めて、適切な営みを行うことに、そもそもの解が存在する事を念頭に置きたいところではないだろうか。

 

第三は国語の復興。

余は「昔は良かった」ということは極力言いたくないのであるが、こればかりは如何ともし難いほどの劣化を示している。

タクシードライバーという職業柄、老若男女に留まらず、様々な職業・階層・カルチャーの人間を客として接する特性上、日本語だけでも様々な言葉を耳にする。

その惨状たるや、若者の崩れた言葉や一時の流行り言葉ならいざ知らず、いい大人が恥ずかしげもなく間違った語句を使用して、無用な諍いの火種を起こしたりすることもしばしば。

適切な言葉を駆使できない者は、意志疎通に支障を来すだけでなく、それによって他者との関わりを避けるようになるため、より一層諍いの火は燻り続けることだろう。

これを避けるためには、質の良い名文や言葉に頻繁に触れていく事が必要不可欠である。

豊富な語彙を養うために、文献や小説を読むことも大事だが、余としては、日本人なら短歌や俳句、川柳、都々逸といった五七調の文学の創作に励むことが、一番の特効薬であると感じている。

何故国語を復興させねばならぬか。

改めて述べるが、意思決定に於ける素地の強化である。

先ほど「適切な言葉を駆使できない者は他者との関わりを避けるようになる」と申したが、これによってもたらされる弊害がもう一つある。

端的に言えば「勝って兜の緒を締めよ」であるが、日本人の悪い癖としてあるのが、目先の勝ち負けに囚われ過ぎるところではないだろうか?

我ら日本人がすべき事は何だろうか。

あれこれ活動をすることで得られる安心感だろうか。

仕事や労働を通じて得られる充実感だろうか。

否、求められることは日本と日本人の繁栄という「結果」を作り出すことである。

 

我々、特に有権者に見られがちだが、保守派は安倍政権で安心しきってはいないだろうか。後継の人材も未だ育っていない状況下で安心できるほど、日本は余裕があるだろうか。左翼は未だ政党や活動団体に於いて、まともに論戦や政策提言の出来る人材も育っていない始末である。工作員のウジ虫どもは残らず滅ぼすとしても、様々な視野を持った人材は不可欠であろう。

そうした課題を解決するためにも、言語を磨くことは重要である。

 

かつて安倍総理は、選挙のキャッチフレーズに「日本を取り戻す!」という言葉を採用したが、単に国力や国際社会に於ける存在感、競争力に対してその言葉を使ったのではないと余は思う。

日本を、日本足らしめるものあってこそ、日本なのだということを忘れることなく、我が国、栄えある日本の真の復活を遂げるべく、これからの時代を共に生きたいものである(・`ω・)=3フンス